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大阪地方裁判所 平成6年(わ)3958号 判決

主文

被告人を罰金三〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、千葉市中央区《番地略》甲野ビル四階所在の乙山皮膚科医院の院長で、平成五年一〇月一二日午後一時ころ、主として医薬品の卸販売を業とし、かつ、大阪市中央区北浜一丁目八番一六号所在の大阪証券取引所の開設する有価証券市場に株式を上場している日本商事株式会社と医薬品の販売取引契約を締結している丙川薬品株式会社の千葉支店第一営業部次長Aから、同人が同契約の履行に関して入手した「ユースビル錠について、フルオロウラシル系薬剤との併用投与による重篤な副作用症例(死亡例を含む。)が発生したので、副作用発生の拡大を防止するため、ユースビル錠納入先の病医院・薬局の先生方に安全性情報の伝達を行うとともに、その情報伝達の完了を確認するまでの間、医療機関等へのユースビル錠の納入は一時中止し、これに伴い、日本商事から販売代理店への出荷も一時中止する。」旨記載された文書を手交され、これにより、日本商事株式会社が実質上初めて開発し同年九月三日発売を開始し、同社の株価上昇のもとになっていた帯状ほう疹の新薬ユースビル錠について、発売直後、これを投与された患者につき、フルオロウラシル系薬剤との併用に起因した相互作用に基づく副作用とみられる死亡例が発生したとの同社の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼす重要事実の伝達を受けた者であるが、同重要事実の公表により同社の株価が確実に下落するものと予想し、信用取引を利用して同社の株式を高値で売り付けた上、株価の下落後に反対売買を行って利益を得ようと決意し、法定の除外事由がないのに、同重要事実の公表前である同年一〇月一二日午後一時五〇分ころ、山一證券株式会社千葉支店を介し、前記大阪証券取引所において、日本商事株式会社の株式一万株を売り付け、もって、同社の業務等に関する重要事実の公表がなされる前に、同社の上場株券の売買を行ったものである。

(証拠の標目)《略》

(補足説明)

弁護人は、被告人は無罪であるとして、事実上の主張や法律上の主張(これに関連する事実上の主張を含む。)をするので、当裁判所がその各主張を認めず被告人を有罪とした理由について補足説明をする。なお、この説明の便宜上、証人の当公判廷における供述のみならず当裁判所の証人に対する尋問調書の供述記載をも証言という。また、右説明の中で、括弧内に事実の認定に供した主な証拠を挙げるに際しその末尾に括弧書で付記したアラビヤ数字は前記検察官請求証拠番号である。

一  弁護人の事実上の主張について

所論は、要するに、被告人が判示Aから判示文書を手交され、これにより、日本商事株式会社(以下「日本商事」という。)が実質上初めて開発し同年九月三日発売を開始し、同社の株価上昇のもとになっていた帯状ほう疹の新薬ユースビル錠について、発売直後、これを投与された患者につき、フルオロウラシル系薬剤との併用に起因した相互作用に基づく副作用とみられる死亡例が発生したという情報(以下「本件副作用情報」という。)を伝達されたことはない、というものであるが、被告人がAからこの伝達を受けたことは関係証拠に照らし優に認められる。その理由は、以下のとおりである。

1  関係証拠を総合すると、まず、次の事実が認められる。

(一) 日本商事は、昭和一四年一二月に設立された株式会社丁原商店が同二七年七月に現社名にその商号を変更した会社であるが、本社を大阪市中央区《番地略》に置き、医薬品の製造、販売等を主たる目的として、近畿を中心に全国的にその営業を展開し、平成三年六月に大阪証券取引所第二部に株式を上場して現在に至っている。

丙川薬品株式会社(以下「丙川薬品」という。)は、昭和二三年九月一七日設立され、本社を東京都世田谷区《番地略》に置き、医薬品の卸販売を主たる目的とし、首都圏及び東日本を中心にその営業を展開している。

被告人は、皮膚科医師で、昭和四四年一一月千葉市中央区市場町で乙山皮膚科医院(以下「乙山皮膚科」という。)を開業したが、平成五年一月ころ同区《番地略》の甲野ビル四階に同医院を移転し、引き続きその医療業務を営んでいる。被告人の妻B子は、乙山皮膚科が使用する医薬品等を納入している医療設備法人である右甲野ビル内所在の有限会社戊田商会(以下「戊田商会」という。)の代表取締役であるが、その実質的な経営者は被告人であり、乙山皮膚科と戊田商会は事実上一体の関係にある。

日本商事と丙川薬品は、医薬品に関する取引契約を締結していて、日本商事から医薬品を丙川薬品に供給し同社がこれを医院や病院等に販売する関係にあり、丙川薬品千葉支店は、昭和四六年ころから戊田商会に対し医薬品を販売してきたところ、ユースビル錠の後記発売後は、同錠もその販売の対象になり、被告人は乙山皮膚科で同錠を患者に投与して使用するようになった。そして、当時、丙川薬品千葉支店第一営業部の千葉営業所長Cが戊田商会との間の取引担当者になっていたが、同商会が大口の得意先であったことなどから、Cの上司で以前から被告人と面識のあった右千葉支店第一営業部次長のAが主に被告人と右取引の商談に当たっていた。

(二) 日本商事の株価は、前記株式上場の直後はいわゆるご祝儀相場の故もあって三五〇〇円程度の高値であったものの、その後緩やかに下落し、平成四年半ばには一四〇〇円程度まで値下がりしたが、その後再び上昇し、平成五年七月から一〇月初めまではおおむね三四〇〇円から三五〇〇円程度で推移し、同月七日に三五一〇円の高値を付けた後は値を下げ、同月一二日には始値が三三八〇円、後記売買停止直前の終値が三一五〇円と軟調で推移し、本件副作用情報の公表後の翌一三日には多数の投資家が売りに殺到して二六六〇円と大幅に値下がりした。

被告人は、昭和五〇年ころから山一證券株式会社(以下「山一證券」という。)千葉支店を通じて株売買をしていたものであるが、信用取引で大損をしたりバブルの崩壊で手持の株が売れなくなったりして、容易に利益を得ることができなかったところ、平成五年から特定の銘柄に集中して短期売買をする方法で確実に利益を上げようと考えるに至った。そして、被告人は、同年三月から同年五月にかけて、右の方法で甲田薬品株式会社の株取引をしてみると、これである程度の利益を上げることができ、次いで、そのころ、日本商事が近々発売を予定している同社開発・製造の新薬ユースビル錠(皮膚科用抗ウイルス剤)について、他社製造に係る既存の皮膚科用抗ウイルス剤ゾビラックス等よりも副作用が少ない上に薬効も一〇〇倍以上あるなどと良い評判を前から聞き及んでいた折から、これは日本商事の業績に寄与すると判断して、同年五月から同社の株を買い始め、値上がりの機会を見て何度か手仕舞いを繰り返し着実に利益を上げたが、同年九月に多量に信用買いした分についてその売却の好機をつかめないまま、結局同年一〇月一二日の前場でこれを売却した結果、約一六五万円の損失を被った。

被告人は、右のように短期売買をし始めてから山一證券千葉支店の担当者Dとの連絡を密にして株売買の好機をつかむように努めていたものであるところ、右一二日も朝からDと度々電話で連絡を取りながら日本商事株の動きに注目していた。

(三) ユースビル錠は、日本商事が乙野醤油株式会社(以下「乙野醤油」という。)と共同開発した皮膚科用抗ウイルス剤で、帯状ほう疹に効果があるもので、日本商事は、同錠について、平成五年七月二日厚生大臣の製造承認を得、同年九月三日発売を開始した。

ユースビル錠は、後記治験段階において、抗ガン剤として広く用いられているフルオロウラシル系薬剤と併用した場合同系薬剤の代謝を阻害し、その血中濃度を著しく高めて同系薬剤の毒性が増強するという相互作用(広義の副作用に属する。以下「副作用」ともいう。)の可能性が指摘されていたが、この問題は右製造承認の際の厚生省における審査で十分吟味されず、ユースビル錠の発売に当たっても、これに添付された説明書中「使用上の注意」の項の相互作用欄に、「フルオロウラシル系薬剤と併用するとその代謝が阻害されることが報告されており、その血中濃度を高め作用を増強するおそれがあるので、併用投与を避けること」という趣旨の記載がなされただけで、右併用により被投与者の死亡を含む重篤な結果を招きかねないことについて十分な配慮をした措置はとられなかった。

こうして、右併用禁忌の重要性に医師が気付かないことがあったり、医師には患者がフルオロウラシル系薬剤を投与されていることが分からない場合もあったりしたことから、同年九月から一〇月にかけて、同系薬剤とユースビル錠との併用投与による死亡例を含む重篤な副作用症例が発生した(最終的には死亡例が一五、その他が八に達した。)。

日本商事は、同年一〇月一二日朝に、同日まで右副作用例として少なくとも死亡例三を含む症例六を把握していた折から、各支店及び営業所に対し、ユースビル錠とフルオロウラシル系薬剤との併用投与による右の死亡例を含む症例が発生したことを記した上この情報を可及的速やかに全得意先に伝達して医院等における同錠の適正使用の徹底を図るよう指示する旨の各文書のほか、販売代理店宛用の後記「ユースビル錠(一般名ソリブジン)とフルオロウラシル系薬剤との相互作用についてのお願い」と題する文書をファックスで電送した。そして、厚生省は同日午後二時ユースビル錠の副作用に関する緊急安全性情報を発表し、日本商事も、同日午後三時ころ、大阪証券取引所において前記副作用例が発生したことを主な内容とする本件副作用情報を新聞記者等マスコミ関係者に発表した。

(四) 丙川薬品(本社薬事部)は、平成五年一〇月一二日午前一〇時ころ、ユースビル錠に関する副作用情報を日本商事東京支店から口頭で知らされ、さらに、同日午前一〇時二一分に同支店から「ユースビル錠(一般名ソリブジン)とフルオロウラシル系薬剤との相互作用についてのお願い」と題する文書がファックスで電送されてきたことから、本件副作用情報の伝達を受けた。次いで、丙川薬品(本社薬事部)では、このファックス文書に「至急」印を押捺した上、同日午前一〇時四一分ころ、この押捺された文書(平成七年押第三八二号の1)を同社の千葉支店を含む各支店や営業所へファックスで電送した(このうち右千葉支店に電送された分を、以下「至急文書」という。)。

Aは、同日昼過ぎに乙山皮膚科を訪ね、同日午前の診療を終えた被告人と院長室で約二〇分間ほど話をするなどしたが、その後付近のホテルで、戊田商会に勤め始めて日が浅い管理薬剤師のE子も交えて被告人と約一時間にわたり会食し、同日午後二時三〇分ころ被告人らと別れて帰った。

なお、Cは、同日午後三時四〇分ころ、丙川薬品千葉支店の得意先から同千葉支店に戻った際、至急文書の写しを見て本件副作用情報を知り、その後Aの命により、翌一三日の同支店の朝礼時に、営業員らに対し至急文書の写しをユースビル錠を納入している得意先の医院等に持参するよう指示した。そして、Cは、その二日後の一五日に、至急文書の写し(前同押号の2)を持参して戊田商会へ赴いてこれをE子に渡したが、当時Cは、Aが既に被告人又はE子に至急文書の写しを渡したかどうかの確認をしていなかった。

(五) 被告人は、平成五年一〇月一二日の朝からDと連絡を取りながら日本商事株の動きに注目し、同日の前場では、前記(二)のとおり同社の株を売却したが、同日後場では、Aとの前記会食をしに乙山皮膚科を出掛ける直前の同日午後一時二〇分ころ、前記院長室からDに架電して信用取引で同社の株一万株を指し値三一三〇円で売り(空売り=信用売り)注文をし、同日午後一時五〇分ころその売買が成立した。

次いで、同日午後一時四〇分ころ、日本商事から大阪証券取引所宛にユースビル錠の副作用が発生したこと、厚生省において緊急安全性情報を発表する予定であることが報告され、同取引所は、同取引所業務規定二七条二号の「有価証券又はその発行者に関し、投資者の投資判断に重大な影響を与えるおそれがあると認められる情報が生じている場合で、当該情報の内容が不明である場合又は本所が当該情報の内容を周知させる必要があると認める場合」に該当するものと判断し、同日午後二時一〇分、日本商事の株の売買を停止した。

被告人は、前記空売り(信用売り)をした日本商事の株一万株を翌一三日に二六六〇円で買い戻してその差額四七〇万円の利得を得た。

以上のとおり認められる。なお、これらの事実は弁護人もおおむね争わないものとみられる。

2  そこで、更に争点をめぐる関係証拠について検討する。

(一) 前記のとおり平成五年一〇月一二日昼過ぎに乙山皮膚科を訪れたAは、この訪問の経緯・状況等について、要旨、次のとおり証言している。すなわち、

(1) 丙川薬品(本社薬事部)から同社千葉支店に至急文書がファックスで送られてきたのは、同日午前一〇時四〇分過ぎである。私は、至急文書を見て大変なことになったと思ったので、更に詳しい情報を得ようとして日本商事東京支店に電話を掛けてみたが、同支店側の応答は要領を得なかった。しかし、私は、ユースビル錠の投与による副作用の発生が心配だったので、かねてから種々世話になっている被告人に知らせるため、同日午前一一時一五分前後ころと思うが、乙山皮膚科に電話を掛けて、被告人に「ユースビル錠による副作用情報に関する至急文書が来たので、死亡例も出て大変みたいだからファックスで送ります。ファックスの番号を教えて下さい。」と言い、その番号を聞いてすぐに同文書をファックスで送った。しかし、至急文書はもともとファックスで送られてきたものであったから、私は、これを更にファックスで送ると文字が潰れて被告人が読み取ることができないのではないかと心配になり、被告人に同文書の写しを直接手渡して説明することにした。

(2) そこで、私は、同日午前一一時三〇分ころ、至急文書の写しを作成して乙山皮膚科に向け車で出発し、正午過ぎころ乙山皮膚科付近の宍倉パーキングで車を駐車し、すぐに乙山皮膚科に行ったが、患者がまだかなりおり、その診療に三〇分位掛かると思ったので近くの本屋でその位の時間を潰した上、同日午後零時三五分ころ再び乙山皮膚科に行き、残っていた四、五人の患者の診療が終わるのを待合室で待ち、同日午後零時四五分過ぎころ院長室に入って被告人と面会した。そして、私が先程ファックスで送った至急文書について尋ねると、それを被告人が診療室の方から持って来たので見たところ、やはり読めない状態だったので、私は持参していた至急文書の写しを被告人に見せた。すると、被告人はこれをしばらくじっと読んでから、「これから使えなくなるのか。診療所では患者が抗がん剤を飲んでいるかどうか確認できない。」などと言った。それから、被告人は、戊田商会に電話を掛けてユースビル錠の在庫数を確認した上で同錠の注文を取り消すように指示した。そして、その電話を切った被告人は、私に「新しい管理薬剤師のE子先生が来ているから一緒に食事に行こう。」と誘ったので、私が立ち上がって出掛けようとしたら、被告人は私に「ちょっと待って。電話するから。」と言い、どこかへ電話をして一、二分ほど話をし、「よろしくお願いします。」と何かを依頼した。

(3) 被告人がどこかへ右依頼の電話をしたのは同日午後一時二〇分前後ころだと思う。私は、その時点では被告人の右依頼の内容が分からなかったが、後になって、証券会社に電話をしたのであれば株売買かなと分かった。その電話が終わってから、私と被告人は一緒に院長室を出た後、被告人が呼んできたE子薬剤師とともに、同日一時三五分か四〇分ころに付近ホテル内の「丙山」に行き、三人で会食した。そして、私は、同日午後二時三〇分ころ被告人らと別れて、同日三時前ころ丙川薬品千葉支店に帰った。なお、右会食の際に私はユースビル錠の副作用に関する件を特に話題にしなかったが、この理由は、紹介されたE子との初顔合わせの場ではその話題がふさわしくないと考えたからである。

以上のとおりである。

(二) Aの前記証言内容は具体的・詳細でかつ自然である。そして、Aの右証言中、同人が乙山皮膚科を訪問したことや被告人らと三人で会食した点については、それぞれ物的な証拠(検察事務官作成の捜査報告書〔80、81〕に添付の各文書写し)の裏付けがあり、被告人がユースビル錠の注文を取り消すよう戊田商会に指示したとの点については、丙川薬品千葉支店の営業所長であるCもこれにおおむね符合した「同日午後一時三〇分ころに、戊田商会からユースビル錠の注文取消しの連絡があった。」旨の証言をしている。さらに、Aの右証言中、同日午後一時二〇分前後ころ被告人がどこかに電話をしたとの点は、Dの証言を含む関係証拠により認められる前掲1の(五)の「同日午後一時二〇分ころ、被告人が院長室からDに電話をして信用取引で日本商事株一万株を指し値三一三〇円で売り(空売り=信用売り)注文をした」との事実関係に見合うものである。なお、当時日本商事東京支店の新薬第五課長であったFの検察官に対する供述調書(99)によると、同人は「本件副作用情報を伝達するため同日夕方乙山皮膚科を訪問した際、被告人は既にこのことを知っていて、『これに関するファックスももらっている。』旨述べていた。」などと供述しているが、これもAの「同日午後零時四五分過ぎころ、乙山皮膚科の院長室に入って被告人と面談した際に、持参した至急文書を被告人に見せた。」旨の証言部分の信用性を有力に裏付けるものといえる。この点につき、弁護人は、Fの右供述は同人に記憶がなかったのに取調べ検察官の誘導に押されてしたものであるから信用できない旨主張し、なるほど同人の証言中にはこの主張に沿うところがあるが、Fの右供述調書の供述は明確で自然であるのに対し、同人の右証言は、その証言態度にかんがみ、被告人をはばかっているとみられて不自然な感を免れず、信用することができないから、右主張は当を得たものではない。

以上の次第で、Aの前記証言は、その核心的部分、すなわち、同人が平成五年一〇月一二日昼過ぎに至急文書の写しを乙山皮膚科に持参し、同日午後一時二〇分前後ころ被告人にこれを閲読させた経緯・状況等に関して十分信用することができるというべきである。他に、本件審理に顕れた関係証拠をつぶさに検討しても、右判断は動かない。

(三) もっとも、弁護人は、Aの前記証言に関し、同人の供述は本件の調査・捜査段階から変遷している上に、同人は被告人に敵意を抱いているものであるから、たやすく信用することができない旨主張する。しかし、前者の点については、Aは、その証言に際して、本件の調査・捜査段階を通じて関係資料を閲覧するなどするうちに忘れていたことを思い出した結果、供述の内容が変遷することになった旨の納得できる説明をしているから、その証言の信用性に影響するものとは認められない。また、後者の点については、Aは、被告人に不利な前記証言をすることで何か利益を得られるといった立場にあるものではないし、むしろ、その証言態度からは、Aは被告人にはこれまで丙川薬品千葉支店の営業担当者として世話になり、懇意な間柄であっただけに、被告人に不利な前記証言をはばかる様子さえうかがえるところもあり、Aが被告人に対し敵意を抱いているとは到底思われない。弁護人は、Aの証言中、「被告人がインサイダー取引をしたと思うか。」との弁護人の質問に「したと思う。」と答えている点を挙げて、Aが被告人に敵意を抱いていることの証左であると指摘するが、被告人に本件副作用情報を伝達したというAとしては、被告人が判示株取引をしたのが事実である以上、当該情報に基づいて被告人がインサイダー取引をしたと考えるのはけだし当然と思われるから、Aの右答弁は弁護人が指摘するような敵意の証左であるということはできない。弁護人の右主張は失当である。

(四) また、弁護人は、Aが平成五年一〇月一二日に乙山皮膚科を訪問したのは、乙山皮膚科において使用していた抗アレルギー薬トリルダン(マリオンメレルダウ社製)の納入に関する商談のためであったから、当日は被告人がAから至急文書の交付を受けていない旨主張し、被告人も、当日におけるAとの具体的なやりとりについて記憶が十分でないとしながらも、本件の調査・捜査段階及び公判段階を通じて、当日Aから至急文書の交付を受けた記憶はない旨右主張に沿う弁解をしている。しかし、この弁解はAの前記証言と対比して信用することができないものである。むしろ、A及びCの各証言を含む関係証拠によると、同年九月末ころには既に前記トリルダンに関する注文等の商談は実質上完了していたことが認められるから、同年一〇月一二日にAがわざわざ乙山皮膚科を訪問した目的が専らその商談にあったとは考え難い。もっとも、同日の前記会食の費用に関する丙川薬品千葉支店長宛の交際費・雑費申請書にはその会食をした事情として被告人からトリルダンの注文を受けた旨の記載がなされていることは、検察事務官作成の捜査報告書(81)等により明らかであるが、Aの証言によると、右記載は、同支店の負担で前記会食の費用を出してもらう便宜的方法としてCにその旨を書かせたにすぎず、真実でないというのであり、その証言はCの証言とも符合し首肯することができるから、右記載の点は前示判断を動かさない。なお、E子の証言中前示判断とそごする部分はAの右証言等と対比して信用することができない。そして、弁護人は、被告人がユースビル錠に関する副作用情報を初めて知ったのは同日午後四時ころDが被告人に架電して右情報を伝達した時である旨主張し、被告人も右主張に沿う弁解をするが、この弁解も、戊田商会から丙川薬品千葉支店にユースビル錠の注文を取り消す旨の電話があった時間に関するCの前記証言等に照らし、信用することができない。なお、この点に関するE子の証言も、「当日ユースビル錠の注文取消しの指示を受けた時刻は午後だったと思うがはっきりしない。」というものであるから、右信用性に関する判断は動かない。

(五) さらに、弁護人は、<1>被告人は、平成五年一〇月一二日午前の部の診療において二名の患者にユースビル錠を処方しているが、Aが証言するように、同人が同日午前一一時一五分前後ころに被告人に電話を掛けて至急文書の説明をしたのであれば、医師である被告人としては危険を犯してまでこの時刻より後で診療した右二名の患者に同錠を処方していないはずであるとか、<2>被告人は、同日午後四時すぎから五時ころまでの間に同業の医師らに電話を掛けてユースビル錠の副作用について注意を促したが、これは被告人が同日午後四時ころに初めて右副作用のことを知ったことの証左である旨主張し、被告人も当公判廷において右<1>と<2>の各主張に沿う弁解をするほか、被告人の同業の医師であるGが自分の所にも被告人から右<2>の主張にあるような電話があった旨の証言をしている。

しかしながら、まず、右<1>の主張については、次の理由から当を得たものとはいえない。すなわち、関係証拠を検討すると、Aの被告人に対する当該電話の際の至急文書に関する説明は、被告人に同文書をすぐにファックスで送ることを前提にしたものであるところ、その内容を余さずかつ正確に告げたものでないと思われる上、右説明がユースビル錠を抗癌剤(フルオロウラシル系薬剤)との併用による死亡例を含む副作用例に言及したものであったとしても、被告人は、同錠に添付された前記説明書中「使用上の注意」を前に読んだことがあり、右併用による副作用発生の可能性については既に知っていた旨述べており(被告人の検察官に対する供述調書〔92〕)、かつ、当該電話のあったころは被告人が多数の患者を診療中で多忙であったと思われるから、当時の被告人としてはユースビル錠に関する副作用の問題の重要性を深く考えずに、同錠の投与歴がある患者らの診療に際し、カルテを見るなどして相応の判断をして当該患者らに同錠を処方したともみられる(ちなみに、被告人は、当公判廷において、当日午後四時ころDからの電話で本件副作用情報を知ってから心配になり同錠を処方した患者二人のカルテを改めて見た旨の弁解に関連しての供述であるが、うち一人のカルテには、その前から同錠を既に四日間投与していて軽快している旨の記載があり、もう一人のカルテにはその前から同錠を既に三日間投与している旨の記載があり、かつ、副作用を予見させるような熱発、発疹、口内炎等が発生していなかったから、いずれも大丈夫だと思った旨の供述をしている。)。そうすると、Aが被告人に対する当該電話の際に至急文書の説明をしたのであれば被告人が患者らに同錠を処方するはずがないとは、必ずしもいえないというべきである。なお、右<2>の主張については、被告人が当日午後四時すぎから五時ころまでの間に同業の医師らに対し電話を掛けてユースビル錠の副作用について注意を促したからといって、これが直ちに、被告人において同日午後四時ころに初めて右副作用のことを知ったことの証左になるとはいえないから、この主張も当を得たものではない。

以上の次第であるから、被告人がAから判示のとおり本件副作用情報の伝達を受けたことは明らかである。これを争う弁護人の所論は採用の限りでない。

二  弁護人の法律上の主張(これに関連する事実上の主張を含む。)について

所論は、要するに、<1>本件副作用情報は、検察官主張の証券取引法一六六条二項四号にいう「当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」には該当しない、<2>被告人は同法一六六条三項にいう「会社関係者から当該会社関係者が第一項各号に定めるところにより知った同項に規定する業務等に関する重要事実の伝達を受けた者」(以下「情報受領者」という。)にも該当せず、被告人には自分が情報受領者に当たるとの認識もなかった、というものである。

1  所論<1>の点について

(一) 関係証拠によると、前記一の1で認定した日本商事及びユースビル錠に関する事実に加え、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 日本商事は、平成五年一〇月当時、資本金が五二億八二八四万円余、従業員が約二五〇〇名で、大阪市内所在の前記本社のほか、自社品事業部門につき全国で支店七店、営業所六か所、卸事業部門につき近畿を中心に支店二三店、営業所九か所を置いていた。年間売上高は平成三年九月期約一六二〇億円、同四年九月期約一七五〇億円、同五年三月期約九二〇億円(決算期変更により半期決算)であり、その約九割が卸事業部門の売上で、昭和三六年ころから始められた自社品事業部門の売上は約一割にすぎず、また、自社製品三一品のうち医薬品は一三品(主力商品は、花粉症の薬「ニポラジン」、脂肪肝の薬「EPL」で、いずれも月商約一億円。)で、他は日本商事のブランドで販売する発売元商品であった。

こうした事情で、日本商事は医薬品卸売では高い業績を上げているものの、製薬メーカーとしての評価が低く、そのため、近年では年間約二〇億円の資金を投じて自社製品(その資金の約八割が新薬分)の開発に力を注ぎ、その結果、同社が実質上初めて開発に成功した期待商品がユースビル錠であった。

(2) 日本商事は、昭和六〇年七月、以前から乙野醤油が帯状ほう疹の治療薬として研究中のソリブジン(この商品名がユースビル錠である。)を自社の有力製品にすべく、乙野醤油と共同研究開発契約を結び、同社が工業的製造法の確立等の実験を、自社が安全性・薬理試験及び臨床試験(薬事法にいう治験)をそれぞれ担当した。

そして、日本商事は、動物を使用した安全性等の試験を経て、昭和六一年から平成二年まで大学病院等に委託して臨床試験を実施するなどした後、同年二月厚生大臣にユースビル錠の製造承認を申請し、平成五年乙野醤油とその独占的製造・販売に関する契約をし、前記のとおり、同年七月二日右承認を得た上、同年九月三日からユースビル錠を発売するに至った。なお、ユースビル錠は、この発売前から同錠と競合する他社の抗ウイルス剤よりも薬効が著しくその処方の仕方も容易ではるかに優位性があると喧伝されるなどして皮膚科医らの期待を集めていたもので、これが日本商事株の人気(高値維持)に寄与していた。

ちなみに、日本商事は、右発売に先立ち、自社単独での同錠の販売目標として、初年後は一二〇万錠・二一億四八〇〇万円、二年度は二三〇万錠・四一億一七〇〇万円、三年後は二七〇万錠・四八億三三〇〇万円、四年度は二八〇万錠・五〇億一二〇〇万円、五年度は二九〇万錠・五一億九一〇〇万円とし、この五年間で二一三億円余の売上を見込み、直接利益を六一億四六〇〇万円と計算していた。

以上のとおり認められる。

(二) ここで、本件副作用情報に関するユースビル錠による前記副作用例の発生に伴い日本商事に生ずると予想される損害について考えてみると、この損害としては、この副作用例の発生が日本商事の責に帰するものと認められる場合における当該被害者らに対する損害賠償金のほかに、本件副作用情報の公表後における出荷・販売済みユースビル錠の返品や同社が目標としていた同錠の売上高の低下による逸失利益(右副作用例の発生はフルオロウラシル系薬剤との併用によるものであることなどに照らすと、ユースビル錠の右売上高の低下率は自ずと限界があるものとみられる。)等を挙げることができる。そして、これらの損害は証券取引法一六六条二項二号イにいう「災害又は業務に起因する損害」に当たると解されるとしても、これが同条項所定の重要事実といえるためには、大蔵省令(会社関係者等の特定有価証券等の取引規制に関する省令二条一号)にいう「損害の額が最近事業年度の末日における総資産の帳簿価額の百分の一に相当する額未満であると見込まれること」との、いわゆる「軽微基準」を上回ることが必要であるところ、日本商事に生ずると予想される前示損害の見込み額は、同社にとっては少なからず痛手となる額と推測されるものの、証拠関係を検討してみてもその具体的な額を算定し得ない上、日本商事の最近事業年度の末日における総資産の帳簿価額に関する的確な証拠もない本件においては、右損害がこの「軽微基準」を上回るものとにわかに断定することができないから、本件について、証券取引法一六六条二項二号イに該当の重要事実は認められない。なお、同条項の右二号イを除くその余の各号に該当の重要事実も認められない。

(三) そこで、本件副作用情報が、検察官主張の証券取引法一六六条二項四号にいう「当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」に当たるかどうかにつき、以下検討する。

証券取引法一六六条二項四号にいう「当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」とは、同項一号ないし三号と右四号の配列の仕方や同条項の立法趣旨に照らし、同項一号ないし三号(前記大蔵省令に定める「軽微基準」を含む。)に準ずる程度のものと解するのが相当である。そして、これを、本件について、前記(一)において指摘した日本商事の規模・営業状況・自社品事業部門の商品に占めるユースビル錠の比重・同錠の開発に投下した資金量・同錠に対する有力商品としての期待・同社株の人気の要因・同錠の売上目標の大きさ等を踏まえて検討すると、<1>長年にわたり多額の資金を投じて自社の主力医薬品となるべきユースビル錠を開発しその製造・発売に漕ぎ着けた日本商事にとっては、本件副作用情報はこの医薬品に関する被投与者の死亡例を含む重篤な副作用症例の発生を内容としているから甚だ忌むべき情報である上、これが右発売からわずか一か月後であったことからして、ユースビル錠の今後の販売の見込みを著しく損ない期待した売上(収益)を得られない事態を招くのみか、今後とも更に判明するかも知れない副作用例の内容によっては同社の信用を一段と害してより多くの損害を被るものと予想されるのは明らかであり、しかも、<2>およそ医薬品製造会社の株価はその商品である医薬品の人気に支えられている面が強いものであるが、殊に、ユースビル錠は日本商事が実質上初めて開発した医薬品で、同錠と競合する他の医薬品よりも薬効や取扱いの容易さの点で優位性があると喧伝されていたこともあって大きな期待を集め、これが日本商事株の人気の主要な部分を支えていただけに、本件副作用情報は、これが公表されると同社の株取引についてはユースビル錠の今後の販売見込み等の将来性に関わる大きな不安材料となり、その株価を著しく引き下げる原因となるのは当然で、かつ、これは同社の株取引を行う被告人を含む一般投資家にも見易い道理であったというべく、このことは、H(当時野村証券株式会社天王寺支店の企業営業課長)やI(当時日興証券株式会社本部の部長)の各証言を含む関係証拠に照らしても是認することができ、以上を併せ考えると、本件副作用情報は、証券取引法一六六条二項一号ないし三号に準ずる程度のものとして、同項四号にいう「当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」に当たると認めるのが相当である。

ちなみに、ユースビル錠発売の一年数か月前の平成四年半ばにおける日本商事の株価は一四〇〇円程度であったが、同錠発売前後の平成五年七月から同年一〇月初めまではおおむね三四〇〇円から三五〇〇円程度に上昇して推移し、同月七日に高値三五一〇円を付けた後は、同月一二日の始値が三三八〇円、売買停止(この措置は、日本商事の株につき一般投資家の投資判断に重大な影響を及ぼすおそれのある事由が発生したとしてとられたものである。)直前の終値は三一五〇円と軟調で推移したのに、本件副作用情報が公表された後の翌一三日には二六六〇円まで大幅に値下がりしたことは、前掲一の1の(二)で認定したとおりであり、かつ、関係証拠によると、一般投資家らも、当時本件副作用情報を知っていたならば、日本商事の株価は急落するから同社の株を買うことはしない旨るる述べていることが認められる。こうしたことも、本件副作用情報が証券取引法一六六条二項四号に当たるとの前記判断を更に裏付けるものといえる。

弁護人は、医薬品の副作用例は日常的に多々生じているものであるし、また、その副作用情報が報道されても医薬品会社の株価が下落しない事例もあるから、本件副作用情報の如きは証券取引法一六六条二項四号の「重要な事実」に当たらない旨主張する。しかし、右主張に係る日常的に多々生じている医薬品の副作用例が本件副作用情報にいう死亡例を含む重篤な副作用症例と同視し得るものとは認められず、また、医薬品の副作用情報が報道されてもその医薬品の会社の株価が下落しない事例があるとしても、日本商事に関する本件副作用情報は同社の株価の下落を十分予想させるものであったし、その公表後に右株価は現に大幅に下落しているのであるから、右主張は、本件副作用情報については妥当せず、失当である。

2  所論<2>の点について

本件副作用情報は、既に説示したところから明らかなとおり、日本商事本社、同東京支店、丙川薬品(本社薬事部)を経由して同社千葉支店へと伝達され、同支店の第一営業部次長であるAから更に被告人へと伝達されたものである。そして、日本商事と丙川薬品との間の取引契約書(Jの検察官に対する供述調書〔69〕に添付の取引契約書はその写し)の条項には日本商事側に副作用情報の伝達義務がある旨の明記はないけれども、薬事法七七条の三第一項の趣旨や当該取引契約の目的物である医薬品の性格に照らすと、当該取引契約が締結されたことに基づいて日本商事が丙川薬品に取扱医薬品の副作用情報を伝達する義務が生じていることは疑う余地がない。そして、丙川薬品の千葉支店第一営業部次長であるAが証券取引法一六六条三項の会社関係者(同法一六六条一項四号の「当該上場会社等と契約を締結している者(その者が法人であるときはその役員等を・・・含む。)であって、当該上場会社等の役員以外のもの」に当たる。)であり、かつ、同人が前記経緯等により本件副作用情報の伝達を受けたことは、同条三項にいう「当該会社関係者が第一項各号に定めるところにより知った」ことに当たる(同項四号にいう「当該契約の履行に関し知った」に当たる。)と認められるから、結局、Aから更に本件副作用情報の伝達を受けた被告人は情報受領者、すなわち、同条三項にいう「会社関係者から当該会社関係者が第一項各号に定めるところにより知った同項に規定する業務等に関する重要事実の伝達を受けた者」に該当するというべきである。

なお、被告人が乙山皮膚科で使用してきたユースビル錠が日本商事の開発・発売した医薬品であり、これが医薬品販売会社である丙川薬品千葉支店から戊田商会に販売・納入されたものであることを被告人において認識していたことは、前掲一で認定した事実関係に照らし明らかであり、被告人が丙川薬品千葉支店のAから至急文書の写しを手交され閲読したことにより本件副作用情報の伝達を受けたことも前掲一で認定したとおりであるが、この伝達の経緯・態様や右閲読に係る至急文書の写しの形式・内容等を併せ検討すると、本件副作用情報は、日本商事と丙川薬品との間の取引契約の履行に関連して同社の知るところとなり、これが同社のAから更に被告人に伝達されたものであることは、その伝達時に被告人において十分認識していたものと優に認められるから、被告人には自分が情報受領者であることの認識があったことも明らかといえる。したがって、所論<2>の点も理由がない。

以上の次第であって、弁護人の所論<1><2>はいずれも失当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は証券取引法二〇〇条六号、一六六条三項、一項四号、二項四号に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択した上、その金額の範囲内で被告人を罰金三〇万円に処し、被告人が右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、医師である被告人が、自己の営む医院に出入りする医薬品販売会社の社員からいち早く、日本商事の製造・発売に係る医薬品の副作用情報の伝達を受けたのをよいことに、右情報の公表前に同社の株の空売りをした上、その公表後の翌日に急落した同社の株を買い戻して、その差額分金四七〇万円の利益を得た、という事案である。この犯行の動機、態様、結果、殊に、右の株の売買はいわゆる空売り等の信用取引によるもので、積極的な投機の性格を有するものであること、売買した株数が一万株で、取得した利益も決して少くないこと、なお、被告人は、本件の調査・捜査段階及び公判段階を通じ、本件犯行を否認してあれこれと弁解し、調査・捜査段階においては、自己に証券取引等調査委員会の調査の手が伸びてくると察知するや、AやCら関係者に働き掛けて罪証隠滅工作と見られる行為に及んでもいる。

以上の諸点を併せ考えると、本件の犯情は芳しくないけれども、他方、被告人は日本商事の内部者やその取引先の者ではなく、同取引先の者の好意により本件副作用情報を受領したものであること、そして、被告人は、本件により逮捕・勾留されて相当期間身柄を拘束された上、マスコミ等で本件が報道されたこともあって、皮膚科医師関係等の公的団体の役職を辞さざるを得なくなったほか、自己が経営する医院の患者数もかなり減るなどして、事実上相応の社会的な制裁を受け今日に至ったものとみられること、被告人は、医師としてはまじめに勤務してきたものであって、前科がないことなど、被告人のために酌むべき事情を考慮し、かつ、本件副作用情報を得ていわゆるインサイダー取引の罪を犯した日本商事や関係会社の社員らに対する処罰状況をも勘案すると、被告人に対しては主文の刑を量定するのが相当と考える。(求刑・罰金五〇万円)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口 彰)

裁判官 増田周三及び 裁判官 長瀬敬昭はいずれも転補のため署名押印することができない。

(裁判長裁判官 谷口 彰)

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